由紀夫が鳥取砂丘の砂の音をイタリアの町田に届けてから3年が経った。あれから町田が今までの全エンジニア人生の集大成とも言えるアンビエントを完成させて、それはそういった音にありがちな、「一部でもてはやされる」という扱いを受けてそれなりに売れはしたが、いつしか忘れられていった。3年という月日はこうやって大抵のことを客観的に判断するにはうってつけの時間と言えそうだ。つまり作り手と消費者の関係はいつまでも平行線を辿るわけだ。それでもどこか偏屈で頑固な愛聴者はいるもので、いまでも町田の元には砂丘の音を聴いてと、たまにエンジニアの仕事が回ってくるらしい。エンジニアに年末休みは関係ないというなんだろうな。町田の携帯電話の応答メッセージを今日は3度も繰り返し聞いている。「つかまんないなあ」由紀夫は、携帯にため息を吹きかけた。3年前、由紀夫は鳥取砂丘にテントを張り、夜明け前の時間帯の音を録音した音源を持って、イタリアに旅立った。ちゃんと録れているかどうかも分からないし、レコーダーの音を繰り返し聞いても、やはり由紀夫には判然としなかったのだが、音を録ったときの「いける」という感覚のみを信じて町田に「音」を届けた。音源をミラノに滞在中の町田に手渡したとき、奴は妙にハイテンションで、それでいてギリギリに研ぎ澄まされているような感じがしたが、受け取ったレコーダーをもどかしそうに操りながら、眉間にしわを寄せて、なんと、町田はそのまま1時間以上聴き込んでしまった。仕方なく町田の気が済むのを待っている由紀夫にとって、ミラノの街並はどことなく煤けた風景に見えた。